2026年10月1日から、カスタマーハラスメント(カスハラ)への対策が全企業の法的義務になります。従業員数による猶予はありません。パートやアルバイトを1人でも雇っていれば、飲食店でも士業事務所でもIT企業でも対象です。施行まで残り1ヶ月を切りました。
「うちはクレームなんてほとんど無い」という会社ほど、何も準備しないまま施行日を迎えがちです。しかし義務の中身は「カスハラが起きたら対応する」ではなく、起きる前に体制を整えておくことです。この記事では、法律の正確な中身と、中小企業が残り1ヶ月で最低限やるべき実務対応を整理します。
2026年10月1日から、カスハラ対策は全企業の措置義務になる。求められるのは①方針の文書化と周知 ②相談窓口 ③事後対応 ④悪質事案への抑止策 ⑤プライバシー保護と不利益取扱い禁止の5点。罰則は直接の刑事罰ではなく、勧告に従わない場合の企業名公表という形で担保される。
この記事の要約
何が、いつから、誰に義務化されるのか
根拠となるのは、2025年6月4日に成立した「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律等の一部を改正する法律」(令和7年法律第63号)です。施行日は政令(令和8年政令第17号)で2026年10月1日と定められました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 施行日 | 2026年10月1日 |
| 対象 | 全企業(全事業主)。中小企業の猶予規定なし |
| 義務の性質 | 雇用管理上の措置義務(体制を整える義務) |
| 違反時 | 厚生労働大臣の助言・指導・勧告。勧告に従わない場合は企業名を公表できる |
| 過料 | 行政への報告を拒否・虚偽報告した場合に20万円以下の過料 |
押さえておきたいのは罰則の構造です。措置義務に違反しても、直接の刑事罰や罰金はありません。行政の助言・指導・勧告を経て、勧告に従わない場合に企業名を公表できるという仕組みです(公表は「できる」規定であり、自動的に公表されるわけではありません)。20万円以下の過料が科されるのは、行政への報告を拒んだり虚偽の報告をした場合に限られます。
「罰金がないなら後回しでよい」とはなりません。措置義務は労働者との民事上の争いで安全配慮義務の判断材料になり得ますし、企業名公表は採用や取引への影響が罰金より大きい会社も多いはずです。
「カスハラ」の法律上の定義——3つの要素
義務化にあわせて、厚生労働省の指針(令和8年厚生労働省告示第51号)がカスハラの定義を示しています。次の3要素をすべて満たすものがカスハラです。
- 顧客等(顧客、取引の相手方、施設の利用者その他事業に関係を有する者)の言動であること
- 業務の性質その他の事情に照らして、社会通念上許容される範囲を超えたものであること
- 労働者の就業環境が害されること
重要なのは、正当なクレームはカスハラに該当しないと指針が明記している点です。商品の不具合への指摘や、サービスへの妥当な要求は、たとえ厳しい口調でも対象外です。対策の目的は「顧客の声を封じる」ことではなく、「許容範囲を超えた言動から従業員を守る」ことにあります。また、対面だけでなく電話やSNS上の言動も含まれます。
「顧客等」の範囲が広い点にも注意が必要です。消費者向けのビジネスだけでなく、取引先からのハラスメントも対象です。BtoBの会社で「うちに顧客対応はない」と考えるのは誤りで、発注元からの理不尽な要求や暴言も、この法律の守備範囲に入ります。
義務化される5つの措置

指針が事業主に求める措置は5つです。
①方針の明確化と周知・啓発。カスハラから従業員を守る方針を、就業規則その他の服務規律を定めた文書に規定し、社内報や研修で周知します。指針は顧客対応マニュアルにカスハラへの対処内容を記載することも例示しています。
②相談体制の整備。相談窓口をあらかじめ定めて従業員に周知します。パワハラ・セクハラなど既存のハラスメント相談窓口との一体運用や、外部委託も認められています。中小企業が新しい部署を作る必要はなく、「誰に相談すればよいかが決まっていて、全員が知っている」状態を作ることが本質です。
③事後の迅速かつ適切な対応。事実関係の確認、被害を受けた従業員への配慮(メンタルヘルス不調への対応を含む)、再発防止策までが一連の対応です。
④抑止のための措置。悪質な事案への対処方針と体制の整備です。指針は警察への通報、警告文の送付、サービス提供の拒否、出入禁止、仮処分といった対応を例示しています。「お客様は神様」を貫いて従業員を差し出すのではなく、組織として線を引くことが求められます。
⑤あわせて講ずべき措置。相談者のプライバシー保護に必要な措置を講じ、相談したことを理由とする解雇その他の不利益取扱いをしない旨を定めて周知します。
中小企業が残り1ヶ月でやるべき3点
5つの措置をゼロから完璧に整えるのは、1ヶ月では難しいかもしれません。優先順位をつけるなら次の3点です。
| 優先 | やること | アウトプット | 目安 |
|---|---|---|---|
| 1 | 方針の文書化と周知(措置①⑤) | 就業規則または社内規程への条文追加・全社への通知文 | 1週間 |
| 2 | 相談窓口の指定と周知(措置②) | 窓口担当者の指名(既存のハラスメント窓口と兼任可)・連絡先の掲示 | 1週間 |
| 3 | 対応の型と記録の様式(措置③④) | 発生時の対応フロー1枚・記録フォーマット | 2週間 |
3点目の「記録」は軽視されがちですが、実務上は要です。いつ・誰から・どのような言動があり、会社としてどう対応したか。この記録がなければ、悪質事案で警察や弁護士に相談する際の材料も、行政から報告を求められた際の回答も作れません。紙でもスプレッドシートでも構わないので、様式を決めて施行日から運用を始めることをおすすめします。
参考資料としては、厚生労働省の「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」(2022年2月作成)があります。ただしこれは義務化前に作られたもので、法的基準は今回の指針(告示第51号)側です。マニュアルは対応例の引き出しとして使い、体制づくりの要件は指針に沿って確認してください。
方針文書の書き方——盛り込むべき4点
就業規則や社内規程に追加する条文は、凝ったものである必要はありません。指針の要求に沿うなら、次の4点が入っていれば形になります。
- 会社は、顧客等からの著しい迷惑行為(カスタマーハラスメント)から従業員を保護する——保護の宣言
- カスタマーハラスメントを受けた従業員、または受けている場面を見た従業員は、所定の窓口に相談できる——相談経路
- 会社は相談者のプライバシーを保護し、相談したことを理由とする不利益な取扱いを行わない——保護の担保
- 悪質な事案に対しては、警察への通報、サービス提供の拒否その他の措置を講ずることがある——抑止の宣言
注意したいのは、④の抑止の宣言を社内文書だけでなく顧客側にも見える場所(店頭掲示・Webサイト・契約書面)に出すかどうかの判断です。掲示には抑止効果がある一方、表現がきつすぎると顧客対応の萎縮や誤解を招きます。多くの企業が採用しているのは「従業員への迷惑行為には毅然と対応する」程度の穏当な表現を対外的に示し、具体的な対応基準は社内マニュアルに持つ、という二層構えです。
発生時の対応フロー——1枚で足りる
対応フローは複雑にすると現場で使われません。実務では次の5段階を1枚にまとめれば十分です。
- 一次対応 — 現場の従業員は無理に解決しようとせず、上長または窓口に引き継ぐ(1人で抱えさせないことが最重要)
- 引き継ぎ — 上長・窓口担当が対応を交代し、当該従業員をその場から外す
- 記録 — 日時・相手・言動の内容・対応者・対応内容を所定の様式に残す
- 判定 — 正当なクレームかカスハラかを、定義の3要素に照らして会社として判断する
- 対処 — カスハラと判断した場合は、警告・取引停止・警察相談などの対処と、被害従業員のケア・再発防止を行う
このフローの肝は1番目です。実態調査でも、カスハラ被害の深刻さは「その場で従業員が1人で受け止め続けること」から生じています。「困ったら引き継いでよい。引き継ぐことは逃げではなく手順である」と明文化するだけで、現場の心理的負担は大きく変わります。
録音・通話記録はどう扱うか
記録に関連してよく出る疑問が「電話や店頭のやり取りを録音してよいのか」です。少なくとも東京都は、カスハラ対策奨励金の対象経費に録音環境の整備を含めており、対策手段として録音を想定していることが読み取れます。実務では「対応品質向上のため通話を録音しています」と事前に告知したうえで録音する運用が一般的です。録音は事実確認の最有力の材料になる一方、顧客情報を含むため保管ルール(保存期間・アクセス権限)もあわせて決めておく必要があります。判断に迷う場合は、告知方法を含めて弁護士・社労士に確認してください。
東京都の条例とはどう違うか
カスハラ対策は、東京都が2025年4月1日に全国で初めて条例を施行しており、「もう対応済みでは」と感じる方もいるかもしれません。両者は構造が異なります。
| 東京都条例(2025年4月〜) | 改正労働施策総合推進法(2026年10月〜) | |
|---|---|---|
| 性質 | 「何人もカスハラを行ってはならない」という禁止規範・責務規定 | 事業主への雇用管理上の措置義務 |
| 対象 | 都内 | 全国の全事業主 |
| 履行の担保 | 罰則なし(理念型) | 助言・指導・勧告、勧告不服従時の企業名公表 |
つまり都条例が「社会全体への呼びかけ」なのに対し、国の法律は「会社に体制整備を義務づける」ものです。都内の中小企業には支援策もあり、カスハラ対策マニュアルの作成や録音環境の整備等に対する奨励金(40万円)が用意されています。都内で対応を進めるなら、施行前にこうした支援の活用も検討する価値があります。
数字で見る——なぜ今、義務化なのか
厚生労働省の令和5年度「職場のハラスメントに関する実態調査」(労働者約8,000人を対象)では、過去3年間に顧客等からの著しい迷惑行為を受けたと答えた回答者は10.8%でした。業種別では生活関連サービス業・娯楽業(16.6%)、卸売業・小売業(16.0%)、宿泊業・飲食サービス業(16.0%)が高くなっています。
同調査の企業側の回答で注目すべきは、過去3年間の相談件数の傾向です。パワハラ・セクハラの相談が減少傾向にあるなかで、「件数が増加している」が「減少している」を上回ったのはカスハラだけでした。他のハラスメント対策が一定の効果を上げる一方、顧客からのハラスメントだけが増え続けている——これが全企業への義務化に踏み切った背景です。
なお、同じ2026年10月1日には、就職活動中の学生など求職者に対するセクシュアルハラスメント対策(告示第52号)も義務化されます。採用面接やOB・OG訪問の場面がある会社は、あわせて社内ルールを確認してください。
まとめ——「起きてから考える」が許されなくなる
今回の義務化のポイントを整理します。2026年10月1日から全企業が対象で、猶予はありません。求められるのは方針の文書化・相談窓口・事後対応・抑止策・プライバシー保護の5点セットで、履行は企業名公表という形で担保されます。正当なクレームと区別したうえで、許容範囲を超えた言動から従業員を守る体制を、施行日までに文書として残すことが最低ラインです。
なお、対応マニュアルや規程類を整備しても、現場の従業員が「どこに何が書いてあるか」を探せなければ機能しません。規程・マニュアル・過去の対応記録を社内で検索できる状態にしておく仕組みは社内RAGの基礎解説で、2026年のバックオフィス法改正の全体像は法改正パック総まとめで扱っています。
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